【松本城】行く前に知っておきたい基礎知識

国宝や日本の名城として有名な
長野県松本市にある松本城。

1504‐1520年に築城された当初は、
この周辺を“深志”と呼んでいたので深志城と呼ばれていました。

1582年に松本城に改名され現在に至ります。

1903-1913年、老朽化の進んだ松本城を
取り壊す考えが上がりましたが
城の敷地内にあった松本中学校の校長 小林有也(こばやし うなり) が
松本城天守閣保存会を立ち上げ協賛者に寄付を募り松本城の修理を行いました。

修理費の約8割が募金によって集められ完了できた
この大修理を『明治の大修理』と呼ばれています。

1930年に国の史跡に指定され、
1936年には国宝に指定されています。

松本城は明治以降も大きな修理を行っています。

1950-1955年に行われた『昭和の大修理』は
明治に行った修理と違い建物を一度解体し復元し直す、
そしてそれを国が主体として行いました。

解体復元まで行かないにしても明治の大修理で
お城の修理費という莫大な費用が寄付金で賄われ、
修理が最後まで完了した事って物凄いことですよね。

昭和の解体も国が動いていますが相当な修理費がかかったと思います。
後世に残していきたいと思わせるほどの魅力が松本城にはあるのかなと思いました。

日本で最古の五重天守なのですが、
外から見たら5階までしかありませんが
実は6階建てなのです。

私はこの話を知った時『石垣の中に1階があるのか…』
と思っていましたが2層目の屋根裏にもう一階あるそうで
『秘密の階』と呼ばれています。

秘密の階と呼ばれていますが
実際には作ろうと思って出来たものではなく
構造上の故できたものだそうです。

外壁が黒漆で塗装されていたため
烏城と呼ばれることもあります。

白と黒のコントラストが美しく優美な松本城ですが、
お城は戦いが行われる場所。

だからこそ松本城にも戦うための工夫や構造がたくさんあります。

お城には戦いの時、
城内から鉄砲や矢で敵を攻撃する為の
鉄砲狭間、矢狭間と呼ばれる小窓が設けられています。
松本城には115箇所も設けられています。

また一階部分の床を石垣よりはみ出した状態にして床を開け、
石垣を登ってくる敵に鉄砲や石を落として応戦出来る構造(石落とし)になっています。松本城にはこの石落としが11箇所も設けられています。

天守の壁は29㎝と厚く、
内堀の幅は約60mもありこれは火縄銃が届く
最大の距離で計算されて作られています。

天守群の中に紅い手すりが取り囲む櫓があります。
これは『月見櫓』と言い、その名の通りお月見をする櫓なのです。

月見櫓があるのは岡本城と松本城だけなのですが
天守から一続きに作られているのは松本城だけです。

この月見櫓は戦後に作られているため、
天守と違い鉄砲狭間や矢狭間など
武装が施されておらず三方の戸を外して
開放的な空間を楽しんだとされています。

戦の時には高い戦闘能力を発揮し、
優美な姿に多くの人を魅了している松本城。

観光する際には、
当時の情景を想像しながら
わくわくドキドキしながら周ってみたいですね。

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