【犬山城】行く前に知っておきたい基礎知識

かつては天守から続くように
本丸、杉の丸、樅の丸、桐の丸、松の丸が
置かれた城郭構造の犬山城。

しかし、現存するのは天守のみ

他の現存12天守と比べると
少し寂しい印象を受けますが

国宝に指定されるだけの素晴らしさがあり
何も調べずに行くと見逃してしまうものもあるので
観光前には基礎知識を知ってから是非行って下さいね!

どうして天守しか現存しないの?

戦国時代が終わり、明治4年
〇〇藩から〇〇県に変わる廃藩置県が布かれ
歴史の最前線に立っていた城郭たちは廃城へ追い込まれました。

犬山城もその中に含まれ

天守以外の櫓や城門が次々と取り壊されていきました。

壊れては直し現在に守り継がれた天守

明治24年(1891年)
美濃・尾張地震(みの・おわりじしん)発生

これにより天守が半壊

修理費が莫大に掛かる事で
県は旧犬山藩主の成瀬正肥に
『無償であげるから直して!』と譲与。

国宝指定から現在まで

昭和27年(1952年)
天守が国宝に指定される。

犬山城だけ全国で唯一
個人所有のお城だったのですが

平成16年(2014年)に所有が法人に切り替わりました。

お城を保存していくのが困難になったとはいえ
今まで自分のお城だったのに手放さないのは
きっと複雑な心境で辛いことだと思います。

天守の見どころ

天守内部へは、
まず石垣の中の地下2階部分から入場します。

階段が急なので女性は
ミニスカートで行かないで下さいね!

地下一、二階

大きな梁と石垣を見ることが出来ます。

築城されたのが1537年なので現在(2018年)から数えると
約481年間も天守を支え続けているんですね、スゴイ。

当時は材木の表面を整える鉋(かんな)が無かったため
この柱の表面は整えられておらず素朴なイメージなのですが、
上の階は改修されているため綺麗な梁になっています。

逆に言えばこの梁がかなりの見どころで、
知らずに見学していたら
見逃してしまっているかもしれませんね。

一階

階の真ん中が4つの部屋に区切られており、
その4つの部屋の周りを『武者走』と言う廊下が囲んでいます。

中には、石落としの間と呼ばれる石垣を登って攻めてくる敵に
上から石や槍、鉄砲で攻撃できるところや

上段の間と呼ばれる来客用の応接室があります。

後方に少し小さめの木戸があるのですが、
そこに城主の護衛の為に武士が潜んでいたと言われています。
実際に使用されている情景を思いながら見て回ると
ワクワクしそうですね。

二階

『武具の間』と呼ばれるその名の通り
武具を保管しておく部屋があります。

実際に武具は置かれておらず棚のみなのですが、
戦国時代を想像し敵が攻めてきて
武器を手にした武士たちが走り出す姿を想像すると
これまたワクワクしてしまいますね。

三階

『破風の間』と呼ばれる部屋があり、
外からみて唐破風がある位置の部屋です。

天井が緩やかなカーブを描いた窓があるのですが
唐破風のある窓の裏側にあたります。

四階(最上階)

『高欄の間』ではまず印象強いのが赤い絨毯。
全国的に見ても絨毯を敷いてあるお城がココだけだそうです。

この階は築城当時にはなく成瀬氏が
増築して作った部屋と言われています。

廻縁(まわりえん)の手すりは当時の高さと同じでかなり低く
高所恐怖症の方は出ないようにしましょうね。

 

【別名】白帝城

【所在地】愛知県犬山市犬山北古券65-2

【築城年】天文6年(1537年)

【構造】平山城
複合式望楼閣
3層4階地下2階

【国宝指定】天守

【入場料金】
個人(一般) ¥550
個人(小・中学生) ¥110

【参考サイト】
http://inuyama-castle.jp

お城巡りで知っておくと楽しめるお城の構造

お城巡りには実は気付いていないともったいない事がたくさん!

当時の状況を思い浮かべながらお城を巡ればもっと楽しめるので
知っておくと楽しい基礎知識をまとめてみました。

初めてのお城巡り、ちょっとお城に興味がある方は参考にしてみて下さい。

お城と天守の違い

お城巡りあるあるですが。

『お城=天守』

と思われる方が多いのですね。

天守というのはお城の中にある建物の一つなのです。

『天守をもつお城』『天守をもたないお城』と表現されることもあります。

そもそもお城とは戦いの時に攻め入る敵から守るための施設。

天守は最終的に籠城したり戦いの設備もありますが
戦国時代が終わると権力の象徴も兼ねている部分もあります。

有名なところでは、
松本城の天守群の中にとても目立つ赤い手すりがある
月見櫓(つきみやぐら)とその後ろの辰巳附櫓(たつみつけやぐら)。

この二つ天守は戦国時代が終わり江戸時代の始まりに造られたもので、
矢狭間などの武装設備がなく名の通りお月見をするために造られた天守となります。

お城の構造

お城には戦いの時に敵の侵入を効率よく防ぐ構造がたくさんあります。

空堀(からぼり):敵の侵入を防ぐ堀。水の入った水堀もあるが山地では水が確保できないのでほとんどが空堀であった。堀の断面がV字になっているものを薬研堀、底が平らになっているものを箱堀と呼びます。薬研堀は掘る土の量が少なく底が狭いので落ちると身動きが取れなくなり攻撃しやすい。幅が4~5mほどあり堀の内側には柵や城兵が待ち構えているため突破するのがかなり困難となる。

堀切(ほりきり):尾根を空堀の薬研堀で断ち切り敵の侵入を防ぐ。

切岸(きりぎし):緩やかな斜面を人工的に削ることで断崖を作り出し敵の侵入を防ぐ。

竪堀(たてぼり):山腹を上下に掘られた堀。斜面を横に移動する敵を防ぐ。

曲輪(くるわ):攻めてくる敵の数を減らすため設けられた平場。削平地とも言います。

虎口(こぐち):曲輪の出入り口に設けられる狭い門。攻めて来る敵の速度を落とします。

土塁(どるい):土を積み上げて防御する為に造られた土手。その上に立って戦う事もある。

天守とは

戦が行われる時には、
その高さを生かして広範囲を見渡し敵の状況を把握
そこから指令を出すこともあったそうです。

天守の壁には小窓が設けられそこから弓や鉄砲での攻撃。

戦が無い時は、武器を保管する倉庫の役割も果たしていました。

また天守はお城の中でも一番目立つ建物だったため
自身の権力を表すために建てられたものもありました。

現存し見学ができる天守

天守があるお城で現在でも保存され見学ができるお城が12天守あり、
これらを『現存12天守』と呼びます。

  1. 弘前城 (青森県)
  2. 松本城 (長野県)
  3. 丸岡城 (福井県)
  4. 犬山城 (愛知県)
  5. 彦根城 (滋賀県)
  6. 姫路城 (兵庫県)
  7. 松江城 (島根県)
  8. 備中松本城 (岡山県)
  9. 丸亀城 (香川県)
  10. 松山城 (愛媛県)
  11. 宇和島城 (愛媛県)
  12. 高知城 (高知県)

白い天守と黒い天守の違い

白い漆喰で塗りあげられた天守と
黒い漆喰で塗り上げられた天守があります。

これには諸説ありますが白い天守は徳川派、
黒い天守は豊臣派と言われています。

天守の中には何がある?

戦場の中心となる天守には小窓がいくつもあり、
そこから鉄砲や矢を出して攻撃したり(鉄砲狭間、矢狭間)。

一階の床を石垣より広く取り、
出来た隙間から石垣を登って攻め込む敵に石や鉄砲で攻撃したり(石落とし)。

沢山の武器をしまっておける棚。

籠城戦になった時のために、厠や井戸もあります。

石垣の構造と石積みとの違い

野面積み:自然の石をそのまま使用。隙間が多いため排水に優れていますが敵が登りやすく施工が難しい。

打込ハギ:積みやすいように角を取った石で作られる。隙間が出来るので間詰石を入れる。

切込ハギ:四角に加工し隙間なく積み上げる構造。隙間がほとんどない為、見た目は美しいが排水は適していない。

お城の事を調べていると石垣と石積みという言葉が出てきます。
石垣とは敵の侵入を防ぐためのもので切岸や土塁と同じようなものです。
石積みは崩れやすい斜面などを石を積んで補強することを言います。

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【彦根城】行く前に知っておきたい基礎知識

諸説ありますが
彦根城の築城開始時期は1603-1604年(慶長8‐9年)
1622年(元和8年)に工事が完了しているので
完成までにおよそ19年掛かったとされています。

築城までの流れ
1603‐1604年:築城開始
1606年:天守が完成(第二期の工事)
1616年:御殿が開始(第三期の工事)
1622年:工事完了

1854年(安政元年)『天秤櫓の大修理』

天秤櫓の左(西側)の石垣を
打ち込みハギの落とし積みで修理された。

右(東側)は野面積みの牛蒡積みのまま残されました。

お城の構造

【連郭式】
本丸、二の丸、三の丸が一直線に続く

【平山城】
琵琶湖と山の合間の幅5kmほどの平地に築城

【登り石垣】
竪石垣ともいい、彦根城の他に
松山城、洲本城、竹田城、米子城
でも同じ手法が使われていて

その中でも比較的に美しく残っているのは
彦根城と言われています。

【玄宮楽々園(げんきゅうらくらくえん)】
お城の北側に広がる大名庭園の玄宮園と楽々園。
国の名勝として指定されています。

 

天守の構造

積み上げるように造られた天守には
通し柱を使用しておらず
3層3階地下1階の複合式望楼閣。

戦の時に使用される狭間が
外から見にくいように造られていて、

城内の階段は角度が62度とかなり急な角度になっているので
城内に入られても階段上から敵を突き落としたり、
ハシゴは最終的に外して敵と一緒に落とせるようになっている。

千鳥破風、切妻破風、唐破風、入母屋破風を
盛り込み見る方向によって違う印象が楽しめる外観となっています。

1957‐1960年(昭和32‐35年)の天守解体修理の時に
大津天守に使用されていた用材が発見された。
それにより彦根城は大津天守を小さくして移築したものと言われています。

ちなみに天秤櫓も長浜城から移築されたもの
と言われており

1から造らなくて済んだのでこの辺りは
僅か2年ほどで完成しています。

国宝、重要文化財に指定

【国宝】

  • 天守
  • 付櫓及び多聞櫓

【重要文化財】

  • 天秤櫓
  • 太鼓門及び続櫓
  • 西の丸三重櫓及び続櫓
  • 二の丸佐和口多聞櫓
  • 馬屋

解体の危機を乗り越えた

明治時代に廃城例が布かれ
彦根城も明治元年に700円で落札。

明治時代初期の当時の1円は
2万円~2万5千円と言われており

おおよそ1,400万円~1,750万円くらい。

しかし、明治11年10月に明治天皇が巡幸で
彦根を通った時に城の保存を大命されたため
この危機を逃れたと言われています。

この話には諸説が二つあります。

  • 随行していた大隈重信が彦根城を残したいと思い明治天皇へ奉上した。
  • 福音時(近江町長沢)で休憩を取られた際に明治天皇の従妹であり住持攝専夫人のかね子が奉上した。

井伊直弼と埋木舎(うもれぎのや)

藩主となるまでここで生活していたのが幕末に大老を務めた井伊直弼。
自ら『埋木舎』と名付け、文武両道に励み、彼の開国の才能はここで生まれました。

「世の中をよそに見つつも埋もれ木の埋もれておらむ心なき身は」

この詩は井伊直弼が詠んだもので『埋木舎』と名付けたきっかけになったと言われています。

まとめ

彦根城は世界遺産の暫定リストに記載されていましたが日本のお城の世界遺産で姫路城が登録され彦根城の登録は見送られてしまいました。

しかし世界遺産レベルのお城であることには変わりない彦根城。

訪れる際には基礎知識を頭に入れてから最大限に楽しみたいですね♪

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【松本城】行く前に知っておきたい基礎知識

国宝や日本の名城として有名な
長野県松本市にある松本城。

1504‐1520年に築城された当初は、
この周辺を“深志”と呼んでいたので深志城と呼ばれていました。

1582年に松本城に改名され現在に至ります。

1903-1913年、老朽化の進んだ松本城を
取り壊す考えが上がりましたが
城の敷地内にあった松本中学校の校長 小林有也(こばやし うなり) が
松本城天守閣保存会を立ち上げ協賛者に寄付を募り松本城の修理を行いました。

修理費の約8割が募金によって集められ完了できた
この大修理を『明治の大修理』と呼ばれています。

1930年に国の史跡に指定され、
1936年には国宝に指定されています。

松本城は明治以降も大きな修理を行っています。

1950-1955年に行われた『昭和の大修理』は
明治に行った修理と違い建物を一度解体し復元し直す、
そしてそれを国が主体として行いました。

解体復元まで行かないにしても明治の大修理で
お城の修理費という莫大な費用が寄付金で賄われ、
修理が最後まで完了した事って物凄いことですよね。

昭和の解体も国が動いていますが相当な修理費がかかったと思います。
後世に残していきたいと思わせるほどの魅力が松本城にはあるのかなと思いました。

日本で最古の五重天守なのですが、
外から見たら5階までしかありませんが
実は6階建てなのです。

私はこの話を知った時『石垣の中に1階があるのか…』
と思っていましたが2層目の屋根裏にもう一階あるそうで
『秘密の階』と呼ばれています。

秘密の階と呼ばれていますが
実際には作ろうと思って出来たものではなく
構造上の故できたものだそうです。

外壁が黒漆で塗装されていたため
烏城と呼ばれることもあります。

白と黒のコントラストが美しく優美な松本城ですが、
お城は戦いが行われる場所。

だからこそ松本城にも戦うための工夫や構造がたくさんあります。

お城には戦いの時、
城内から鉄砲や矢で敵を攻撃する為の
鉄砲狭間、矢狭間と呼ばれる小窓が設けられています。
松本城には115箇所も設けられています。

また一階部分の床を石垣よりはみ出した状態にして床を開け、
石垣を登ってくる敵に鉄砲や石を落として応戦出来る構造(石落とし)になっています。松本城にはこの石落としが11箇所も設けられています。

天守の壁は29㎝と厚く、
内堀の幅は約60mもありこれは火縄銃が届く
最大の距離で計算されて作られています。

天守群の中に紅い手すりが取り囲む櫓があります。
これは『月見櫓』と言い、その名の通りお月見をする櫓なのです。

月見櫓があるのは岡本城と松本城だけなのですが
天守から一続きに作られているのは松本城だけです。

この月見櫓は戦後に作られているため、
天守と違い鉄砲狭間や矢狭間など
武装が施されておらず三方の戸を外して
開放的な空間を楽しんだとされています。

戦の時には高い戦闘能力を発揮し、
優美な姿に多くの人を魅了している松本城。

観光する際には、
当時の情景を想像しながら
わくわくドキドキしながら周ってみたいですね。

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