【彦根城】行く前に知っておきたい基礎知識

諸説ありますが
彦根城の築城開始時期は1603-1604年(慶長8‐9年)
1622年(元和8年)に工事が完了しているので
完成までにおよそ19年掛かったとされています。

築城までの流れ
1603‐1604年:築城開始
1606年:天守が完成(第二期の工事)
1616年:御殿が開始(第三期の工事)
1622年:工事完了

1854年(安政元年)『天秤櫓の大修理』

天秤櫓の左(西側)の石垣を
打ち込みハギの落とし積みで修理された。

右(東側)は野面積みの牛蒡積みのまま残されました。

お城の構造

【連郭式】
本丸、二の丸、三の丸が一直線に続く

【平山城】
琵琶湖と山の合間の幅5kmほどの平地に築城

【登り石垣】
竪石垣ともいい、彦根城の他に
松山城、洲本城、竹田城、米子城
でも同じ手法が使われていて

その中でも比較的に美しく残っているのは
彦根城と言われています。

【玄宮楽々園(げんきゅうらくらくえん)】
お城の北側に広がる大名庭園の玄宮園と楽々園。
国の名勝として指定されています。

 

天守の構造

積み上げるように造られた天守には
通し柱を使用しておらず
3層3階地下1階の複合式望楼閣。

戦の時に使用される狭間が
外から見にくいように造られていて、

城内の階段は角度が62度とかなり急な角度になっているので
城内に入られても階段上から敵を突き落としたり、
ハシゴは最終的に外して敵と一緒に落とせるようになっている。

千鳥破風、切妻破風、唐破風、入母屋破風を
盛り込み見る方向によって違う印象が楽しめる外観となっています。

1957‐1960年(昭和32‐35年)の天守解体修理の時に
大津天守に使用されていた用材が発見された。
それにより彦根城は大津天守を小さくして移築したものと言われています。

ちなみに天秤櫓も長浜城から移築されたもの
と言われており

1から造らなくて済んだのでこの辺りは
僅か2年ほどで完成しています。

国宝、重要文化財に指定

【国宝】

  • 天守
  • 付櫓及び多聞櫓

【重要文化財】

  • 天秤櫓
  • 太鼓門及び続櫓
  • 西の丸三重櫓及び続櫓
  • 二の丸佐和口多聞櫓
  • 馬屋

解体の危機を乗り越えた

明治時代に廃城例が布かれ
彦根城も明治元年に700円で落札。

明治時代初期の当時の1円は
2万円~2万5千円と言われており

おおよそ1,400万円~1,750万円くらい。

しかし、明治11年10月に明治天皇が巡幸で
彦根を通った時に城の保存を大命されたため
この危機を逃れたと言われています。

この話には諸説が二つあります。

  • 随行していた大隈重信が彦根城を残したいと思い明治天皇へ奉上した。
  • 福音時(近江町長沢)で休憩を取られた際に明治天皇の従妹であり住持攝専夫人のかね子が奉上した。

井伊直弼と埋木舎(うもれぎのや)

藩主となるまでここで生活していたのが幕末に大老を務めた井伊直弼。
自ら『埋木舎』と名付け、文武両道に励み、彼の開国の才能はここで生まれました。

「世の中をよそに見つつも埋もれ木の埋もれておらむ心なき身は」

この詩は井伊直弼が詠んだもので『埋木舎』と名付けたきっかけになったと言われています。

まとめ

彦根城は世界遺産の暫定リストに記載されていましたが日本のお城の世界遺産で姫路城が登録され彦根城の登録は見送られてしまいました。

しかし世界遺産レベルのお城であることには変わりない彦根城。

訪れる際には基礎知識を頭に入れてから最大限に楽しみたいですね♪

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